“あの歴史的決戦”の裏にあった《易》の力──張良と三国志の軍師・諸葛亮が用いた「時を読む知恵」

「天の流れを読み、人の道を見極める」
古代中国の英傑たちは、そんな知の技法を使って、国を動かし、時に勝ちました。
《易(えき)》は、歴史をつくった人物たちのそばにいつも存在していました。

本記事では、

  • 前漢を築いた劉邦と、その軍師・張良(ちょうりょう)
  • 三国志の天才軍師・諸葛亮(しょかつりょう)

この2人のエピソードを通じて、易がいかに「現実を動かす知」として用いられていたかをご紹介します。


目次

劉邦と張良──武ではなく“天命”で勝った英雄

紀元前3世紀末、秦の帝国が崩れ、中国大陸は群雄割拠の時代へ。

そのなかで、のちに漢の初代皇帝となる劉邦(りゅうほう)と、楚の名門・最強の武将項羽(こうう)が激しくぶつかります。
この戦いは「楚漢戦争(前206~202年)」と呼ばれます。

武力では、誰もが「項羽が勝つだろう」と考えていました。
実際、項羽は戦えばほぼ無敵。まさに“武の化身”でした。

しかし、最終的に天下を取ったのは、劉邦。

その理由のひとつが「時を見極め、天命を読む」知恵の力でした。

軍師・張良と断易(だんえき)

劉邦の軍師だった張良(ちょうりょう)は、黄石公から「太公兵法」とともに《易経》を授かっていたと伝えられています。

戦の進退を決める際、張良は「六爻(ろくこう)」を使った断易(五行易)を行い、天の流れと人の勢いを見極めていたのです。

特に有名なのは、楚漢戦争の最終決戦「垓下の戦い(がいかのたたかい)」。
張良は、楚軍を心理的に追い込む策として、夜通し漢軍の歌を流させます。
これは項羽の兵士に「すでに家族も漢に寝返った」と思わせ、士気を崩す戦略。

この時も、張良は占って「いまこそ、天命が味方している」と読み、決行したとされます。


諸葛亮(孔明)──知恵で国を支えた人物

それから400年後。
三国志の時代に現れたのが、天才軍師諸葛亮(しょかつりょう)。字(あざな)は「孔明」。

彼は、劉備という英雄に見出され、蜀という国の立ち上げから政務・戦略すべてを担いました。

「三顧の礼」とは?

「三顧の礼(さんこのれい)」とは、劉備が3回も孔明の家を訪ね、ようやく迎え入れることができたという逸話。

これは「本当に価値ある人材は、自分から出てこない。自ら訪ねてでも迎えるべきである」という教訓として、現代でも語り継がれています。

易・陰陽・奇門遁甲、あらゆる術に通じた軍師

諸葛亮は、国家運営において天文・暦法・風水・易・五行・奇門遁甲など、多くの術数に通じていたとされます。

特に有名なのが、魏(ぎ)に対する遠征、北伐(ほくばつ)です。
天候や敵軍の動きを占いながら、5度にわたって進軍を繰り返しました。

また、最後の戦「五丈原(ごじょうげん)」では、自らの死の時期さえ占い、命尽きるまで国家に尽くしたといわれています。

その知恵・忠誠・清廉な生き方は、「知恵の象徴」「徳の象徴」として、今なお絶大な尊敬を集めています。


断易は、時を読む智慧

歴史に名を残した2人の軍師、張良と諸葛亮。
彼らの共通点は、「ただ戦うのではなく、時を読み、道に従った」ということ。

古代中国では、“天命を読むこと”こそが、最も現実的な判断材料でした。
それが《易経》であり、断易の本質です。


最後に:現代にも通じる「時を読む力」

現代を生きる私たちもまた、日々「決断」を迫られています。
特に、企業やチームを率いる経営者・リーダーにとっては、ひとつの判断が大きな流れを左右することも少なくありません。

そんなときに役立つのが、《易》のように「動くべきときか、待つべきときか」を冷静に読み解く知恵です。

占いというより、「時流を読む羅針盤」。
張良や諸葛亮がそうであったように、決断の際に、易を活用してみませんか。

変化の時代をしなやかに生きるヒントとして、《易》の智慧を取り入れてみてはいかがでしょうか。

天を読み、人を知り、時に従う。
あなたの決断の背中を押すヒントになれば嬉しいです。

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